■2001/06/16 (土) 関空へ

16日午前2時。
従業員たちと一路関空へ。
北陸自動車道、大津インターで運転を変わった。
そう、さっきまで友達と飲んでたので醒めるまで従業員の子に運転してもらってたのだ。
大津インターを出て2秒。
訳のわからぬ大渋滞。
トラックの運ちゃんに「戻って下道行った方がいいよ。」と、言われ
国道1号線を京都に…
4時20分。外は白々と明るい。
京都東から再び名神に戻る。
吹田ジャンクションで近畿道にのりかえなければいけないのに通りすぎた。
バカヤロー。
出口の横に近畿道の分かりにくい表示。
過ぎたからといって戻れないのが高速道路。
下道から反対方向の高速に乗り近畿道へ。
やたら大型車が目だつ。そのまま阪和道、関空道を通り関西国際空港へ。
着いたのは朝の8時。
フライトの時刻だ。
つづく


■2001/06/16 (土) おとくです

広州・香港旅行に出かける前に電車にしようか車にしようかずいぶん迷った。
ネットで調べたら関空は、関空橋と空港の真下にある駐車場のセットがある。
K旅行社に早速行って頼むと誰も知らず勝手に「ありません」の答え。
それも20人以上従業員がいて整理券を取らされ待たされ…
なんとおそまつな大旅行社だろう。応対、機転もゼロ!
昔はKは良かった。今は…
そんなこんなで頭に来てK本社のホームページに出てたと言うまで誰一人知らないのだ。
まあ、旅行会社はともかく出発ロビーの真下に4泊5日で泊めてセットで1万円。
往復のガソリン代、高速代、締めて4万円。
電車で4人なら8万。
人数、時間の問題如何ではちょっとおトクです。
まだまだつづく

■2001/06/16 (土) やっぱり中国は…

関空→広州の切符が取れなかったので香港でトランジットして広州へ。
香港の新空港は初めて。
「あれ?」「関空?」
ホントに関空を大きくした感じ。
4時のフライト時刻まで自由行動。私は飛行機内で読みかけの小説をビールのジョッキ片手に過ごした。そろそろ時間だと出発ゲートに向かうと2時間遅れる表示。
あーやっぱり中国や。無茶苦茶や。
で、2時間後またまた40分の遅れる表示。4時のはずが6時40分。
やっとの思いで飛行機に乗る。すぐでてきたドリンクはプルトップのぬるいビールやコーラ。やっと飛んだと思ったら30分で到着。なんやそれ!
 
広州到着。「暑い!」
むせ返るようなアジアの匂いと熱風。「来た!」
出迎えの呉さんと一路ホテルへ。そう、3時間近くの遅れを待っていたのは私たちだけではなかった。
15日の朝から35時間が過ぎようとしていた。
本来は高級レストランを予約していたのだが余りのテンションの低さにキャンセル。
ホテルは大層立派な中国大酒店。プール付きの5つ星。
その地下の「食街」というレストランで食事をしたあと即、就寝。
明日から…考える間もなく夢見る事も無くただただ寝た。
このつづきは日付別でタイトルで書きます。

■2001/07/21 (土) 中国の旅 6月17日(日)

今日は日曜。
日本では父の日だが、中国もやはり同じ様に父の日だった。
広州は食の都。
「食は広州に在り。」は有名な文句だが、なんとこの言葉はわずか40年前くらいに出来たらしい。しかし、4本足のものは机、空を飛ぶものは飛行機以外なんでも食べてしまう広州人。今日の食事が楽しみだ。
実は広州には14年前に1度来ている。その頃はまだ人民服を着ていて街はすごい田舎だった。レストランの1階は地べたで、子供はその場で用をたしている。
だが、わずか10数年で街は大都会に変貌を遂げていた。
お昼ごはんは湖を囲むようにそびえる「畔渓酒家」で飲茶。父の日の客でごったがえしていた。飲茶で有名なだけあってどれもうまい。
観光名所は意外に少ない。観光は程々に繁華街へ。
そこに突然のスコール。どしゃぶりで見る見るうちに道路は川に…
こんな光景は広州では珍しくもない。小1時間でうそのような青空。
そう、ここは中国。

■2001/07/21 (土) 中国の旅 6月17日(日)

夜になって広州で1番の老舗「広州酒家」に来た。
ここは数ある広州酒家の本店。やはりここも父の日を祝う家族連れで一杯だ。
やっと席を確保して店員にビールを頼んで料理を注文するため少しばかり席を離れた。帰ってくるとうちの従業員の子たちがビールを飲んでたら隣のおやじたちに睨まれたらしい。そりゃそうだ。隣のおやじでさえ大事に1本のビールをのんでいる。しかも父の日だから特別だ。なのにガキが3人で料理もないのにビールを4本も空飲みしてりゃ誰だって面白くない。当然だ。ちなみにビールは1本40元。
約600円。広州酒家の名菜で鶏1羽を使った大皿料理が35元。それほどビールは高価な飲み物なのだ。卑しい酒と書いてピーチュ(ビール)とは、よくいったものだ。
夜9時。
店を出るとアスファルトの地下熱とむせ返るような独特の匂いを含んだ熱風。
まだ、旅は始まったばかり…

■2001/07/21 (土) 中国の旅 6月18日(月)

今日は朝から電車に乗って香港へ。
広州の中心街は観光のために昔の姿で保存されているが、東駅のある東部は近代的都市だ。広州だけで900万人いるのだから住宅も半端ない。
もう日本は並ばれているか、もしくは抜かれているかも…
駅までの途中ガイドの呉さんが面白いことを教えてくれた。
中国はおねーちゃんのいる飲み屋とかは存在しない。(さすが共産国)
でも、世の中に男と女がある限り、どこの国にいっても女遊びの出来る所はある。
中国では散髪屋さんが斡旋所らしい。
これは中国なら何処でもだそうだ。
髪をスッキリしたら次は…?
従業員達の目がキラリと光ったのは言うまでもない。
広州東駅から香港まで電車で2時間。
中国人が香港に行くのは難しいが香港人は中国に出入り自由なのだ。
開発区の深浅や香港はお金の匂いが漂う。それゆえ制限をしなければ人が押し寄せる。深浅から車で50分で香港の中心に来る事が出来る。
香港は住宅事情が多分世界一悪い。6畳2間で15万円位が相場らしい。
それゆえ新婚さんの多くは深浅にアパートを借りて通勤しているそうだ。
また、香港人でちょっと収入のいい人は深浅に愛人を2,3人囲うらしい。
おっと、そうこうしている内にどうやら香港に到着だ。

■2001/07/21 (土) 中国の旅 6月18日(月)

香港到着のわれわれ一行を出迎えてくれたのは季(リー)さんという悪人顔の人だった。さっそく市外を半日観光。ビクトリアピーク等のお決まりコース。
一旦ホテルに戻り夜のお目当て「オープントップバスツアー」だ。
さすがに、こればっかりは日本人だらけ。この旅で街で始めてお目にかかる。
端で見ている香港人には多分見世物的に思われていることだろう。
東京のハトバスに近いものを感じる。
が、そんなことにかまっちゃいられない。気持ちの乗ったもん勝ちである。
ネオン瞬く看板すれすれに走るバスに、一同ハイテンションで大騒ぎ。
香港には何度も訪れたが、1,2人ではこうはゆかない。
バスを降りそのまま女人街へ。
女人街とは屋台ひしめく夜市のことだ。
中国は何でもコピーの偽者、いわゆるバチ物天国で、その精巧さは年々進歩していて現在では殆ど見分けがつかない。
ゆえに、高価な買い物は極力避けてはなっからバチ物をたたき買いすることをお勧めする。
私も広州の秋葉原の様な所でCDを14,5枚買った。
隣の店では本物を売っているのにすぐ隣で偽者を売っている。空港で一枚2800円のCDが120円。
15枚買っても1800円の勘定だ。
写真のパッケージも中の歌詞もすべて本物と見分けがつかない。
ただでさえ暑いのに人々の熱気が加わり女人街はヒートアップしてゆく。
夜の街を彷徨いながら一同はやたら散髪屋のネオンが気にかかり眼を奪われてゆくのであった。(笑)
若いって事はいい。

■2001/07/21 (土) 中国の旅 6月19日(火)

今日は恒例の1日自由時間。
各自、計画を立て思い思いの所に出かける。
いつも旅行のナビをしている私にとって楽しい時間だ。
午前中は上海街を買い食いしながら食器や中華道具を見て回る。
甘味処をはしごした。
今、香港は日本食ブームである。
1番人気が回転寿司で、確かに行列になっている。
でも香港では、一皿240円からだった。高け〜。
2番目が吉野家の牛丼。3番目がケンタッキーで4番目が博多ラーメン。
これじゃあ、わざわざ来た甲斐がない。まあ解らんではないけど…
昼からは九龍でブティックめぐりでお買い物。
私は本当によく中国人に間違えられる。
高級店などではカードを見せるまで入れてくれなかったりする。
ゴールドカードを見せたとたん手のひらを返したような態度。どう思う?
でも、いいこともある。
中国語で話しかけると現地値で買えるからボられないのだ。

全然関係ないが、ふと、広州の呉さんの話を思い出した。
中国人は男も女もよく「カーッ。ペッ!」と痰を吐く。
これをやられると、どんなかわいい娘でも一瞬で醒めてしまうらしい。
呉さんは生まれも育ちも日本の2世だから、これだけはゆるせないらしい。
私もそう思いますよ。呉さん。

さあ、そろそろみんながホテルに戻ってくる時間だ。
最後の晩餐にいざ!

■2001/07/21 (土) 中国の旅 6月18日(火)

香港最後の夜。
私は元来ガイドブックというものを信用していない。
お金を払って載せた記事など眉唾もいいところだ。
その私がトラベル・フロンティアという地球の歩き方を出している出版社の本の
「香港食堂」を見て「新兜記」という店に無性に行きたくなり、今日足を運んだ。
しかし…入るなり嫌〜な感じ。
妙に日本人慣れしているのだ。
「私の店は日本の本に載って、日本からお客さん、沢山来ます。」
日本人は旅先で財布の紐がゆるい。だからむこうの言い値で納得してしまう。
日本人メニューは現地人の3倍くらいの値段になっていた。
とうぜん高価なものはお断りして自分たちの好きなものだけ注文した。
厨房のコックの腕はいい。うまい。しかしホールの店員が悪い。
私としたことが…
さっさと店を跡にして仕切りなおしにパブに入った。
ゲンを取り戻すように飲んだ。
ああ、もう明日は帰国だ。

■2001/07/21 (土) 中国の旅 6月20日(水)

昼にホテルを出て飛行場へ。
ひと寝入りしてる間に関空だ。
手荷物も空港の下に車が停めてあるので楽チンだ。
睡眠も今度はたっぷりしたので運転も快適で4時間で金沢に着いた。
店の一番若い子を降ろしたとき、彼は先輩に「家に着くまでが旅行ねんよ。気をつけて!」と、妙に年寄り臭いセリフをいったのが家に帰るまで耳に残った。
無事家にたどり着いたとたんに現実が…
仕込みや仕入れが頭をよぎる。
明日からまた仕事だ。遊んだ分がんばらねば…

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